ドライブマイカー映画ネタバレあらすじ結末!原作との違いラストどうなる?

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ドライブマイカー映画ネタバレあらすじ結末ラストシーンの意味は?原作との違いも!

「ドライブマイカー映画ネタバレあらすじ結末ラストシーンの意味は?原作との違いも!」と題してお届けします。

村上春樹さんの短編小説「ドライブ・マイ・カー」が待望の映画化で、日本のみならず世界で話題になっていますね。

そんな映画「ドライブ・マイ・カー」あらすじをネタバレしていきます。

意外な原作との違いや、気になる結末ラストの韓国でのシーンの意味や解釈も考察したいと思います!

 

ドライブマイカー映画ネタバレあらすじ結末!


「ドライブ・マイ・カー」の映画と原作のあらすじをみていきましょう!

以前に読んだことのある方は復習として、読んだことない方は予習として参考にしてくださいね。

 

原作あらすじ

舞台俳優兼演出家の家福悠介は、ある日接触事故を起こしてしまいました。

緑内障の影響で視力に問題がある事、違反してしまった事で免許停止になってしまったのです。

家福は自分の愛車、黄色のサーブ900コンバーティブルを運転してくれる運転手を探していました。

サーブは12年乗り続けてきました。

黄色いボディカラーは、新車で購入した際に生前の妻が選んだものです。

家福は俳優をしており、週に6日も舞台に出演していました。

車内でセリフの練習をするためにも、どうしても車で移動したかったのです。

事務所からも「視力の再検査でよい結果が出るまでは運転してはいけない」と強く言い渡されてしまいました。

知人に運転の腕は確かだと紹介してきたのは、20代の女性・渡利みさきです。

みさきの運転するサーブの助手席で、家福は亡くなった妻を思い出すことが多くなりました。

家福の妻は、家福の2歳年下の美しい女優・家福音です。

初めて会ったときから亡くなるまで、家福は音のことを心から愛していました。

そんな音には隠された秘密があったのです。

 

映画あらすじ①

舞台俳優であり、演出家もある家福悠介(西島秀俊さん)が映画でも主人公です。

家福は、脚本家の妻・家福 音(霧島れいか)と満ち足りた日々を送っていた。

しかし、妻はある秘密を残したまま突然この世からいなくなってしまったのです。

2年後、演劇祭で演出を任されることになった家福は、愛車のサーブで広島へと向かいます。

そこで出会ったのは、寡黙な専属ドライバーみさき(三浦透子さん)でした。

喪失感を抱えたまま生きる家福は、みさきと過ごすなかで、それまで目を背けていたあることに気づかされていくという物語です。

気になるのは、妻・音がなぜ他の男性と関係をもったのかということですよね。

原作ではそこまでの詳細な理由は明かされていませんでした。

しかし映画「ドライブ・マイ・カー」では、音の本心が描かれているのではないでしょうか。

 

映画あらすじ②

音と家福は、自身の子どもを亡くしており悲しみに暮れる日々がありました。

家福は精神的にも強くダメージを受けていたのかもしれませんね。

そんな家福の姿を見ていた音は、自身が癌であることを知り、家福がまた苦しみ病んでしまうのではと心配しました。

そこで後腐れのない映画の出演者と関係を持ち、いっそ家福が自分(音)の事を恨み、悲しまないようにと思っていたのではないでしょうか。

やがて家福は後に、音の日記などを発見するのではないでしょうか。

そこには、家福に対する謝罪などが綴られているかもしれませんね。

普通「かふく」と聞くと「禍福は糾える縄のごとしの」「禍福」を思い浮かべる方も多いですよね。

幸福の中に不幸の種があり、不幸の中に幸福の種があるというようにも取れます。

幸せがすぐさま不幸に変わり、不幸がやがては幸せになることもあるだろうという意味ですね。

不幸だと思っていたが音の行動は、「どんなやり方であれ自分を想っての行動であった」と少しは救われるのかもしれません。

 

ドライブマイカー映画ネタバレあらすじ結末ラストシーンの意味は?原作との違いも!


「ドライブ・マイ・カー」、結末はどうなるか気になりますよね。

原作と映画のラストの違いはあるのでしょうか。

映画では、家福の「影」で病気が進んで行く様子が感じられますので、注目したいところです。

 

原作結末

原作では、結局音は4人の男と関係を持っていました。

いずれも映画で共演する俳優で、映画の製作期間だけ関係が続くだけのものでした。

家福は妻と男との関係を知り苦しみましたが、その事実を見て見ぬふりをする苦痛も伴っていました。

なぜ妻は他の男と関係を持ったのか、彼らに何を求めていたのか、何が自分に足りなかったのか。

妻が子宮癌を患いあっという間に亡くなるまでの間に、何度も問いただしたい衝動に駆られました。

しかし結局何一つ聞くこともできないまま、音は家福の前からいなくなってしまったのです。

24年前に家福と妻との間には3日間だけ生きた子どもがいて、妻がほかの男と関係を持つようになったのは、子どもを亡くした後だったと気付いたのです。

家福とみさきは次第にいろんな話をするようになりました。

友達は作らないのかと尋ねるみさきに、家福は「最後に友達を作ったのは10年前で、その男は僕の奥さんと寝ていた。」という話を始めました。

音が亡くなってから、その高槻という男性に会い「妻の思い出話をしたい」と誘い出します。

誘った動機は、音がなぜその男と寝なくてはならなかったのかを知りたかったからでした。

高槻は家福の妻のことを本当に好きだったようでした。

半年くらいあちこちを飲み歩くという付き合いが続きましたが、ある日ぱたりと会うのをやめたと言います。

高槻から電話がかかってきても、それさえも家福は無視していました。

それでもなぜ妻が高槻に心惹かれ体をゆるすことになったのか、未だにとげのようなものは心に刺さったままです。

みさきは「奥さんは本当は、その人に心なんて惹かれてなかった。だから寝たんです。女の人にはそういうところがあるんです。」と言いました。

と原作ではここまでの結末ですが、この後どうなったのかは”自身の想像に任せる”というのが村上春樹さん特有の終わり方ですよね。

 

映画ラストの意味は?

音を失った事で「僕は正しく傷つくべきだった。」とやっと思いを口にできた家福を、みさきは抱きしめます。

広島国際演劇祭では、『ワーニャ叔父さん』の舞台は大好評でした。

ワーニャ(家福)に寄りそうソーニャ(ユナ)は生きて行きましょうと手話で語り掛けます。

時がたち、韓国の町で買い物をしているみさきが赤いサーブに乗り込むシーンで映画は終わっています。

車にはゴールデンレトリバーが乗っていて、みさきの表情が以前より明るい事が印象的なラストになっていますよね。

この赤いサーブは、家福にとっては音を、みさきにとっては母親を、つまり「喪った人」の象徴になっているのではないでしょうか。

「大きな故障もした事がない」は「夫婦生活に大きな問題はなかった」という意味だと考えられます。

そういう意味で、「ドライブマイカー」は「亡くした人と共に生きて行く」という意味のタイトルになっているのだとラストシーンから感じられないでしょうか?

 

原作との違い

一番大きな違いは「ヤマガ」の話の有無ですね。

あとは、女性との距離感に違いを感じた方もいるのではないでしょうか。

原作では、終始一貫して家福は女性との距離に一線を引いているイメージがあります。

ところが映画ではみさきに寄り添い、運転を褒め、ラストでは実家にまで行っています。

そしてハグです。

映画の家福は、距離を置こうとするのではなくごく自然に近づいて行く様子が描かれていました。

 

まとめ

 

原作である「ドライブ・マイ・カー」のあらすじをネタバレ含めて紹介してきました。

原作ファンにとってラストの意味考察や解釈に違いはあったでしょうか。

監督・脚本をつとめる濱口竜介さんは風刺が効いた社会派作品に大きく影響を受けたと言われています。

これまでの他作品同様に、ドライブ・マイ・カーもどこか重い空気感のある展開になっていましたね。

以上「ドライブマイカー映画ネタバレあらすじ結末ラストシーンの意味は?原作との違いも!」というテーマでお届けしました!

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