2020年3月29日に、誰からも愛された日本を代表するコメディアン、志村けんさんが亡くなりました。
あまりにも急すぎる訃報にたくさんの著名人からも追悼の言葉が寄せられました。
各局では追悼番組が特集されています。
いつも私たち笑わせてくれた志村けんさんは子供時代から面白かったのでしょうか?
父親・母親とのエピソードはどのようなものがあるのでしょうか?
先祖がすごいとの噂ですが、本当なのでしょうか?
志村けんさんは子供時代から面白かったのか父親・母親とのエピソードを含め幼少期の生い立ち、先祖までを写真付きで紹介していきます。
志村けん幼少期の生い立ちと先祖を写真付きで紹介!
ドリフターズに入りたいって言った志村けんさんに対して、家族は誰も反対しなかったとか。
なんて優しい家族(´TωT`)
志村けんさんも優しい人柄ですもんね。#志村けん#ファミリーヒストリー pic.twitter.com/lfsmT63pXT— たこっち 🌸みぃちゃんの『卒コン』ず~っと待ってます(◉ϖ◉) 🌸 (@gudetama05120) March 30, 2020
志村けんさんは、父親(憲司さん)と母親(和子さん)、兄が2人の5人家族でした。
3人兄弟の末っ子として今の東京都東村山市で生まれ、育っています。
志村けんさんの本名は『志村康徳』(やすのり)です。
志村けん父親は厳格だった?
職場でキャバが感染原因て話、と聞いたが。
勝ち人生には違いなく。
父親は校長先生。厳格、家の食卓が葬式みたいなのがイヤで芸人を目指して荒井注氏の付き人に。舞台でさっぱりウケなくて死ぬ思いしてアイ~ンをやって道が開ける。
今日休みでよかったわ。#志村けん pic.twitter.com/OH4AqeU1Cc— SLAYER芭蕉(ba-sho-u) (@wtfhanneman) March 30, 2020
志村けんさんの父親は、小学校の教師で憲司(けんじ)さんです。
のちに、校長まで昇進されています。
代々続いている志村家の17代目で、分家にあたるそうです。
芸名の”けん”というのは父親の名前からとったそうです。
とてもまじめで厳格な性格で、冗談ひとつ言わない人だったそうです。
二人の兄(長男・知之さんと次男・美佐男さん)は大学を卒業して、公務員になられています。
一緒に和気あいあいと話した記憶はないそうで、志村けんさんにとって最も恐ろしい存在でした。
そんなある日、テレビを見ていたら父親が帰ってきて、茶の間の空気が凍ります。
『雲の上の団五郎一座』という番組がついていて、それを初めて見た父親が笑ったそうです。
その笑っていた父親にみんなびっくりしました。
志村けんさんは、初めてお笑いを見て、父親が笑ったので、「お笑いってすごいな~」と思いました。
この出来事がきっかけで、コメディアンに憧れるようになったそうです。
志村けん母親に笑いのセンス似てる?
今の私の待ち受けはこれです❤️
『志村けん 母親』で検索したら、ものすごく可愛いおばあちゃんが出てきて、うちの母親に似てる所もあって、何なら志村さん以上に好きになってしまい、志村さんよりもお母様多めに待ち受け画面作っちゃいました🤣笑 pic.twitter.com/2l2yOchMcf— ベス (@QlDQjeUDzX8byCv) April 3, 2020
志村けんさんの母親の和子さんは小学校を卒業後、家事手伝いをしていました。
1945年に志村憲司さんと結婚されています。
とても明るくて活発な方だったそうです。
面白い性格であるというエピソードとして有名なのは
- 「母はおならをしてもずっと人のせいにするような明るい人でしたね(笑)」
- みんなでお団子を食べていた時、自分の食べ終わった串を他の人のお皿に置いて「私は食べていないわよ(笑)」
などがあります。
兄嫁の志村サヨ子さん(長男の妻)も「本当におもしろい母でしたよ」とおっしゃっています。
遺品には、デビュー当時からの膨大な量の『志村けん』のスクラップブックがあり、「私が一番ファンだ」とおしゃっていたそうです。
家に来たファンを、家に招き入れてお茶を出したりしていたそうです。
志村けんの先祖が凄い?
馬防柵復元地にはあの屏風が。
山県昌景討死の際に首をとられないように抱えている、志村けんの御先祖様とされる志村又右衛門。なお、後に尾張付家老となる成瀬家の戦功をアピールするために描かせたとされる合戦図。
当時は大久保忠世の与力だったらしい成瀬正一はなんと馬防柵の前に描かれています pic.twitter.com/wzegUqN2zJ— 岐阜じゃない鶏ちゃん(だけじゃないt (@keichan_ixa) February 24, 2020
志村けんの先祖は凄いとの噂ですがどのようなご先祖様なのでしょうか?
志村家のルーツをたどると、なんと、山梨県の甲州武田家の家臣に行き着くそうなんです!
「志村」という姓はあの武田信玄が統治していた山梨県『甲府』に多い苗字とのことです。
志村家は戦国時代から続くお家柄なんですね!
武田四天王の一人に数えられる武将『山県 昌景』の家臣『志村又左衛門』という人物で、長篠の戦いでは主君山県 昌景の討たれた首を必死に守っている姿が『長篠合戦図屏風』にも描かれています。
志村けん子供時代から面白い?コントの原点とは
若いころは超絶イケメンなのに、コントでは三枚目。
本当にお疲れした。合掌。 #志村けん pic.twitter.com/XRNyXiTv7W
— Shunsuke Murata (@forallandnone) March 30, 2020
志村けんさんといえばドリフターズ時代から、たくさんの面白い名作コントをされていますよね。
どれも面白くて、たくさんありすぎて、どれが一番かなど選ぶことができません。
志村けんさんは子供時代から面白かったのでしょうか?
コントの原点は何なのでしょうか?
志村けんコントの原点は小学生時代?
志村けんさんの幼少期✨ pic.twitter.com/F7OdaD8Ysf
— たこっち 🌸みぃちゃんの『卒コン』ず~っと待ってます(◉ϖ◉) 🌸 (@gudetama05120) March 30, 2020
志村けんさんは落語や漫談が大好きで夕方の番組がある日は友達との遊びをやめてまでラジオを聞きに帰っていたそうです。
小学校の運動会の時に、トイレが間に合わず、大きいほうを漏らしてしまい、『うんこ垂らし』というあだ名をつけられてしまいます。
何とかしたいと思っていたところ、酔っ払いの落語に出会い、友達と学校で披露したことで、ひょうきん者として扱われるようになりました。
コントを人前で初披露したのは、小学生時代の「酔っ払いコント」ということになります。
志村けんさんのコントの原点は小学校時代にある、ということですね。
その後、付き人時代を経て芸能界デビューを果たします。
1974年にドリフメンバーとなりますが、売れない時代が続きます。
そんな中子供の頃から聞いていた地元の曲「東村山音頭」で勝負に出ます。
そして一気に人気が爆発しコメディアンとしての活躍が始まります。
まとめ
志村けんファミリーストーリー。志村さんの先祖は武田信玄に仕えた武士とか、ビートルズの来日公演に行った話とか、もー一族や人の歴史って凄い。 pic.twitter.com/h6v5HpLHNd
— R♪69♪(Rろっく) (@IMKAREN08) March 30, 2020
「志村けん子供時代から面白い?幼少期の生い立ちと先祖を写真付きで紹介!」と題してまとめてみました。
志村けんさんは子供時代から面白い人で、周りのみんなを笑わせていたのですね。
厳しかった父親・優しくて明るい母親とのエピソードも面白いですね。
ご先祖様も歴史に名を遺した人でした。
生前は本当にたくさんの笑いや楽しさを提供していただきました。
子供から大人まで、芸能界も、志村けんさんの訃報に驚き、悲しんでいます。
日本人で知らない人はいない、多くの影響を与えた偉大なコメディアンだったことがわかります。
心より、志村けんさんのご冥福をお祈りいたします。