母藤圭子と宇多田ヒカルの凄さは似てる?絶望の生い立ちと天才的な歌声で伝説が生まれた時

宇多田ヒカル

宇多田ヒカルは藤圭子と幼少期の生い立ちが似てる?仲や確執を解説

藤圭子さんが宇多田ヒカルさんの母親で、伝説の歌手であることは有名ですが、世代が違うため藤圭子さんについて知らないというファンも多いはず。

藤圭子さんと宇多田ヒカルさんには、幼少期の生い立ちから離婚を繰り返す人生、天才的な歌声で伝説が生まれた時の凄さなど、似てると言われるそっくりなエピソードが多くみられるのです。

宇多田ヒカルさんは15歳でタイアップのない中「Automatic」により鮮烈なデビューを飾り次々とスポンサーが決定。

母である藤圭子さんは竹山澄子さんを母にもち、幼少期から歌い始めて15歳でスカウトされます。

歌手の下積みを続け、デビュー時には天才的な歌声で数々の伝説が生まれた時代でした。

宇多田ヒカルさんが「人間活動」とうたって歌手活動を休止している間の2013年8月、母親の藤圭子さんは帰らぬ人となります。

親子の仲には長年確執があり、絶縁状態だったと言われ、宇多田ヒカルさんにとってまさに絶望を感じる人生の節目となってしまいました。

藤圭子さんと宇多田ヒカルさんの仲に絶縁状態とも言える確執がなぜ生まれたのか

そこには藤圭子さんの母であり、宇多田ヒカルの祖母である竹山澄子さんが関係する、難しい生い立ちの問題が隠されています。

2019年7月には「伝説の歌手藤圭子ー演歌の星を背負った宿命の少女」特集番組が組まれ、歌手藤圭子さんが生まれた時の凄さを武田鉄矢さんが絶賛しています。

この記事では宇多田ヒカルさんの幼少期の生い立ちにさかのぼって、親子仲の確執、母親である藤圭子さんと似てる点や、伝説とも言われる歌声の凄さについて迫りたいと思います。

 

宇多田ヒカルは藤圭子と幼少期の生い立ちが似てる?仲や確執を解説


今の世代には、宇多田ヒカルさんの母親として知られる藤圭子さん。

歌手として全盛期だった1970年代から1980年代には、「凄みのある歌声と独特の節回しに、強いまなざしが光る伝説の演歌歌手・藤圭子」として誰もが知る有名歌手でした。

そんな藤圭子さんと宇多田ヒカルさんの似てる点として、「生い立ち」が挙げられます。

藤圭子さんが帰らぬ人となった日にショッキングなニュースが報道される中には、宇多田ヒカルさんは藤圭子さんと印税に関わるお金の問題で、長年絶縁状態であったと報じるメディアが数多く存在しました。

実は藤圭子さん自身も一世を風靡した演歌歌手時代から、実母であり宇多田ヒカルの祖母にもあたる「竹山澄子」さんと印税の使い込み問題で絶縁状態にあったのです。

 

藤圭子と竹山澄子の関係は?

貧乏な家庭で育った藤圭子さんは家族のため、目の不自由な母親のために歌で生計を立てようと、子供時代から必死で働き続けて、演歌界の一時代を築き上げました。

藤圭子さんは父親とも絶縁しているようですが、ある時その父親から、「母竹山澄子さんが藤圭子さんのギャラを勝手に使い込んでいる。母親は本当は目が見える」という話を聞かされます。

それまでも母親に対して感じていた不信感が決定的になってしまったのです。

目の見えないはずだった母親竹山澄子さんのために、マンションやアパートを購入して同居生活を続けてきたのに、何十年もの間騙されていたと知った藤圭子さん。

精神的に激しいショックを受けて入院し、この頃から精神のバランスを崩していくこととなります。

退院後、藤圭子さんは宇多田ヒカルさんの父親である宇多田照實さんと生活を共にしながら、幼少期の宇多田ヒカルさんを「世界に通用する歌手」に育てる準備を本格化します。

米国へ移住するための資金作りとして今までに購入してきたマンションやアパートを売却します。

その中には藤圭子さんの母親竹山澄子さんと同居していたマンションも含まれており、数々のいさかいを経て絶縁状態に陥ってしまったようです。

 

宇多田ヒカルの幼少期の生い立ちは?


では、大切な娘を米国で歌手として育てるために多額の資金を作り、お金がなくなれば日本に戻って歌をうたい稼いでは米国へ家族で戻る、という凄まじい生活を送っていた藤圭子さん。

最愛の娘宇多田ヒカルさんと絶縁に至ってしまう原因はなんだったのでしょうか?

宇多田ヒカルさん本人は明言していませんが、関係者の話やメディアの報道によると、やはり母親藤圭子さんの「印税のお金の使い込み」があったようです。

加えて、精神的に不安定だった藤圭子さんとまだ10代だった宇多田ヒカルさんとの間にあった親子喧嘩などのトラブルであったと言われています。

宇多田ヒカルさんが15歳で鮮烈なデビューを飾ったのが1998年のことでした。

その8年前から宇多田ヒカルさんは父親の宇多田照實さん・母親藤圭子さんと共に米国へ渡り音楽の英才教育を受けてきました。

宇多田ヒカルのデビューにより藤圭子さんも一躍注目を浴びます。

しかしこの頃から藤圭子さんは子供の宇多田ヒカルさんにだけ注目が集まるようにと考えたのか、一切歌うことをやめて、メディアの前へ出ることもなくなりました。

その反面、15歳でのデビューからたった4年後となる2002年には、藤圭子さんは宇多田ヒカルさんと別居状態になってしまったというのです。

このきっかけとなったのが2002年当時に、藤圭子さんが宇多田ヒカルさんのコンサート開催権利を他人に譲渡しようとして宇多田照實さんと対立したことだと言われています。

 

宇多田ヒカルと藤圭子の仲に確執があった?


さらに、デビューから話題性の強かった宇多田ヒカルさんの事務所の副社長を務めていた藤圭子さんの元には年間で1億円以上の印税や出演料などのギャラが入るようになります。

しかし同時期には世界中のカジノを回って毎年1億円のペースで使い込むほどギャンブルにのめり込んでいき、宇多田ヒカルさんとの確執が大きくなっていきます。

この年には、宇多田ヒカルさんが写真家・映画監督でもある紀里谷和明氏と結婚を発表します。

しかし、宇多田照實さんと娘の宇多田ヒカルさん本人から「個人事務所の副社長を辞めてほしい」と頼まれることとなってしまうのです。

藤圭子さんが激しいショックを受けたことで人間不信となり、宇多田ヒカルさんと別居が始まったのだそうです。

長年宇多田ヒカルさんを歌手にするため、米国と日本を行ったり来たりを繰り返し、様々な場所で売り込みをかけて奔走してきた藤圭子さん。

娘本人から個人事務所の役員を外されるというのはショック以外の何物でもなかったでしょう。

しかし、毎年1億円以上にものぼる印税や出演料を、母親にすべて使い込まれていたと知った宇多田ヒカルさんのショックも、計り知れないものだと思われます。

藤圭子さんが母親竹山澄子さんに「裏切られた」と激しいショックを受けて親子関係が絶縁に陥った状態を、奇しくも自分の娘である宇多田ヒカルさんと繰り返すことになるとは、夢にもおもっていなかったでしょう。

 

母藤圭子と宇多田ヒカルの歌声が似てる?天才エピソードとは


宇多田ヒカルさんと母藤圭子さんが似てる点は、「母親とのお金の確執と絶縁」という問題だけではありません。

天才的な歌声の凄さをもつ伝説の歌手、という点でも、もはやそっくりといってもいいレベルなのです。

藤圭子さんは浪曲師であった父の阿部壮(つよし)さん、浪曲師で曲師でもある母の竹山澄子さんと一緒に、子供の頃から「ドサ回り」と言われる旅について行きます。

歌をうたい、家族でうたって生計を保つ毎日でした。

成績は優秀だったものの、家族を歌で支えるために高校入学を断念して15歳でスカウトされ上京します。

その後数々のレコード会社のオーディションを受けるものの落選して下積み生活を続け、作詞家石坂まさをさんの家で住み込みレッスンを受けます。

デビューにこぎつけると、ファーストアルバムである「新宿の女」が20週連続でオリコンチャートの1位を獲得!

次のセカンドアルバム「女のブルース」でも17週連続で1位を獲り、合計で37週に渡って1位という芸能史上に残る快挙を成し遂げるのです。

若くして伝説をつくる凛としたたたずまいに強いまなざし、絶大な存在感と歌唱力が高く評価されました。

次に藤圭子さんの娘である宇多田ヒカルさんのデビュー秘話をみていきましょう。

 

宇多田ヒカル天才歌手へのエピソード


宇多田ヒカルさんが生まれたのは1983年、アメリカニューヨークでした。

父親の宇多田照實さん、母親の藤圭子さんが日本ではなくニューヨークでの出産を選んだのは、生まれる前から宇多田ヒカルさんに世界に通用する歌手になってほしいという強い想いがあったから。

アメリカ国籍も選べる選択肢を与えたかったからではないでしょうか。

いずれにしろ宇多田ヒカルさんは日本国籍であっても、毎年莫大な印税が手に入りますから世界中どこでも仕事ができるという、まさに母親の藤圭子さんが最愛の娘に望んだ歌手としての人生を歩んでいることになりますね。

宇多田ヒカルさんは幼少期から両親の深い愛情と音楽の英才教育を受けて、5歳になる頃には本人も自然と歌手を目指していたといいます。

1997年に東京でのレコーディングを見た東芝EMIスタッフにスカウトされて翌年1998年末に15歳でCDデビューを果たします。

これ以前にも藤圭子さんは様々なレコード会社や恩人、芸能関係者にデモテープを渡して、娘宇多田ヒカルさんがいかに天才歌手であるかをプレゼンテーションするなど、宇多田ヒカルさんのデビューに尽力していました。

1stアルバム「First Love」はオリコン累計売上枚数が765万枚を突破して日本歴代アルバムセールスの1位を獲得するなど、まさに彗星のごとく現れた伝説の歌手として、宇多田ヒカルさんは日本中を魅了しました。

宇多田ヒカルさんの歌声は藤圭子さんのハスキーボイスや重低音の強さ、のびやかさなど似ている点も多々あります。

さらに世界に通用する声量とビートの効いた歌唱力、アップテンポで人を惹きつけてやまない曲調が日本国民に衝撃を与えました。

2007年に出した「Flavor Of Life」はデジタルシングルセールスで世界1位を獲得し、宇多田ヒカルさんの透き通った歌声はアメリカでも注目されるようになります。

後に、1990年代に爆発的ヒットを連続していた小室哲哉が「僕を終わらせたのは宇多田ヒカルだ」と、口にしていたという逸話もあるほどです。

 

まとめ


宇多田ヒカルさんと、母親の藤圭子さんの生まれた時からの生い立ちにはそっくりなエピソードが多く隠されていました。

天才的な歌声で伝説をつくる凄さなど、似てる点は沢山あることがわかりましたね。

晩年の藤圭子さんは精神的な不安定さに拍車がかかり、宇多田ヒカルさんと和解をしないまま2013年の8月22日に東京都新宿区マンションから飛び降りて帰らぬ人となります。

これは藤圭子さんが母親竹山澄子さんと和解に至ることがなかった点とも酷似しています。

自分の母親と絶縁したまま生涯の別れを迎えてしまうという、絶望の人生とも言える哀しみを藤圭子さんと宇多田ヒカルさんは経験しているのです。

宇多田ヒカルさんは現在でも母親への愛情を歌詞に載せて歌っています。

天才的な歌声で歌謡界に伝説を残す姿には、先祖代々からの運命的なつながりも感じてしまいます。


また、藤圭子さんは夫であり宇多田ヒカルさんの父親である宇多田照實さんと、合計で7回にも渡る結婚・離婚・再婚を繰り返しています。

対して娘の宇多田ヒカルさんは写真家・映画監督の紀里谷和明氏と2002年に1回目の結婚。

2007年に離婚をしてから、2014年2月にバーで出会ったイタリア人男性と再婚をして2015年7月に男児を授かるも、2018年4月に再び離婚をしています。

離別を繰り返す人生も、親子で似てるのですね。

しかし、宇多田ヒカルさんと藤圭子さんの天才的な才能は類まれです。

これからも歌を通して、世代を超えたファンをより魅了してくれることでしょう。

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